「秦建設」発「家族の物語」。今回の舞台は倉敷市真備町。あの平成30年西日本豪雨災害から3年3ヶ月。その間、被災地では住宅の改修や店舗の再開など、復興に向けた懸命な取り組みが続いていた。今回紹介する倉重さん一家もそんな家族のひとつ。倉重家、再生への道のりを振り返る。
2018年7月7日、倉重さん一家は真備町内のアパートで暮らしていた。直人さん、祐子さん、長女の桃花ちゃん(当時10歳)、そして生まれて間もない杏菜ちゃん(当時0歳)。水害に見舞われ、住む場所をなくした一家は、幼い杏菜ちゃんを抱えて総社市で避難生活を送りながら、自分たちの行く末を案じたという。「真備に戻るべきか、それとも違う土地を探すべきか」。逡巡した結果、ふたりが下した結論は「真備に帰ろう」の一心。「私と祐子は真備で生まれ、真備で育ちました。豪雨の被害は甚大でしたが、家族や親戚、友人たちが暮らすこの町への愛着は抑えようがありませんでした。違う町に住むことも考えた時期がありましたが、私たちは、もう一度真備で暮らすことを選びました」と当時の心境を思い返す直人さん。そこから始まった土地探し。ふたりが選んだのは、なんと秦社長の自宅の隣。そこは水害で荒れた土地を秦社長が購入し、「いつか遊び場を作って、孫たちとここで遊ぼう」と手入れしていた土地。さまざまな縁に恵まれて、ふたりの目に留まり、晴れて再スタートの地となった。
その話を振り返り、秦社長が初めてふたりに会った時のことを思い返す。「実はこの土地は人さまに売るつもりはまったくなかったんです。ところがおふたりに会ってみると若く、明るく、聡明で、一生懸命ふたりで働いて、一生懸命子育てに励んでいる。そんな、おふたりの姿を見て『ああ、この方々ならお隣さんとして長くよいお付き合いができそうだ。なんとか力になれたら…そう思いました」とにこやかに話す秦社長。 「うちの娘たちも秦社長と和子さん(秦社長夫人)のことを『おじちゃん、おばちゃん』と呼んで、とても懐いているんです」。そう話す祐子さんの言葉に、普段現場の最前線で厳しく指揮を執る「秦建設社長」の姿とは違った実に好々爺とした笑顔で聞き入る秦社長の横顔…。
真備で生まれ育った夫婦が、ふたりの娘とともに再び真備の町に暮らせる喜び。それこそが再生、それこそが倉重家の未来。
取材の最後に、祐子さんが何気なくこうつぶやいた。「もし、ここに住んでいなかったら、私たち今ごろどこにいるんでしょうね」。
その素直な心情の発露に深くうなずく秦社長。「お隣のおじちゃん」が建てたわが家、家族四人の安住の地が今ここにある。
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