これまで『オセラ』で幾度か紹介した「岡山市北区大和町の分譲地」。構想から完成まで、22年を要して生まれたこの町に新しい「わが家」が完成した。施主は浅野壮平さん一家。両親の嘉彦さんと博美さんとともに完成までの歩みを振り返る。
浅野嘉彦さんと秦社長の出会いは今から30年前にさかのぼる。きっかけは、2人にとって恩人とも言えるひとりの大兄の計らいによるもの。当時、自宅の新築を構想中の嘉彦さんだったが、諸々あって住宅会社とのやり取りに腐心していた。そんな嘉彦さんを見て、「秦くん、浅野さんを助けてあげなさい」と秦社長に嘉彦さんを紹介したのが津島地区の名士、難波正泰さん(故人)。難波さんは若き秦青年の働きぶりに惚れ込み、自身の物件のみならず、住宅やマンション建築を考えていた津島地区の知人・隣人にまったくのわたくし心で秦建設を推薦していたとのこと。「難波さまは義理人情に厚いお方でした。ただ行ないに関しては厳しく、そういった意味でも周りから一目置かれていましたね。まだまだ未熟だった私を可愛がってくださった。人としてたくさんの事を教えていただき、チャンスも与えていただきました」と在りし日の恩人を偲ぶ秦社長。
聞けば、難波さんと博美さんのお父さまは、予科連の頃からの戦友とのこと。当時、勇猛邁進で知られた松山航空部隊で研鑽を積んだ仲だという。苛烈な青春期をともに過ごした二人の絆は、戦後も変わりなく、厚い信頼関係が続いた。そんな絆で結ばれた浅野家と難波家。そこから始まった『秦建設』との縁。30年前の嘉彦さま邸、そして今回の壮平さま邸。くしくも地鎮祭の神主は前回も今回も牛窓神社の岡崎義弘宮司が勤め上げた。まさに「親から子へ、子から孫へ」、津島から大和町へ舞台を移し、運命の綾は織り成していく。
不思議といえば…。大和町の土地を見つけたのも実に運命的。「たまたまこのエリアを自転車で通りがかったら目に入ったのが『秦建設』の看板。その時、ピンとひらめいて妻(博美さん)に相談したら、『もう大和町しかない。秦社長にお願いしよう』という話になりました」と笑う嘉彦さん。結局、津島地区で土地を探していた壮平さんも両親の熱い説得にほだされ…。「両親がそこまで信頼する方ならと秦社長にお願いしました。実際、設計から施工、完成まで設計士さんと現場監督さんが何度も足を運んでくださって…。そこまで丁寧に対応してもらえるのかと感心しました。『秦建設』さんにお願いしてよかったと思っています」と壮平さん。その確かな口調は新しい家長としての誉れに満ちていた。
秦社長が尊ぶ「親から子へ、子から孫へ」の想いが結晶した大和町の新しい「わが家」。家族の物語はこの町で磐石に連綿と受け継がれていく。
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