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お客様の声

生まれ育った真備の町へ必ず戻る...家族みんなで。 わが家再建への想い。大切な何かに出会えた日々。 

あの日から1年5か月。未曾有の水害に見舞われた真備の町に一軒の住まいが再興した。家族全員が心待ちにした「わが家」。真新しい玄関ドアを開けて迎え入れてくれたのは、代々真備町で暮らしてきた佐々木家の皆さん。冬の日差しも柔らかな1日、家族とわが家、再生への道のりを振り返る。

「被災後、和多くん(秦建設・現場責任者)に『この家、直るの?』って聞いたら、『直ります!』って即座に答えてくれたんです。その瞬間、『ああ、またここに戻ってこられるんだ』と安堵したのを今でも忘れられません」と話す佐々木啓子さん。その言葉に長男の一臣さんは、「生まれ育った真備を離れる気はまったくなかったですね。 家族は誰も口には出しませんでしたが、同じ想いでした」と答える。

西日本豪雨では自宅の2階中央部まで浸水した佐々木邸。傷んだわが家を見た啓子さんは、「この家を直してくれるのは、秦さんしかいない」と、一片の迷いもなく思ったそうだ。「秦社長はじめ、私にとっては孫みたいな和多くんや職人さんたちが暑いなか、懸命に尽くしてくださった。冷たいものでも差し入れたいと思っても、その時は冷蔵庫もなかったんです」と啓子さん。 「日ごとにみるみる仕上がっていきました。壁、仕切り、窓...。 動画の早送りを見るように家ができ上がっていった。正直、人間の力ってすごいなあと感じました」と一臣さん。

その言葉に秦社長は、「真備町では、亡くなられた方もいらっしゃるので軽はずみなことは言えませんが...」と前置きし、「ある意味、すべてが無になった後に新しいものが芽吹く。新しいものを足していく喜びを享受することで得るものがあると私は思います」と話す。

秦社長自身、自宅が浸水し多くのものを失ったが、被災後もその眼差しはつねに前を見据え、面持ちに陰りはなかった。「今が有り難いと思えることこそが幸せ」とその胸中を語る。「すっきり何もなくなった。でもこれも断捨離 (笑)。被災して必要なもの、必要でないものがよく分かった。思い出も大事、でも過ぎたこと。秦さんのおかげで、すべてが新しくリセットできた」 と笑う啓子さん。続けて、「不自由な経験をたくさんしましたが、それだけに今の暮らしの有り難さが身に染みます」としみじみ言葉をつないだ。

最後に大野スタッフ (設計担当) の言葉。「私たち建築という仕事に携わる者には、出来ること、やるべきことがたくさんあるという気持ちから、1人ひとりが思いを込めて取り組んできました」。佐々木家の再興は、すべてこの言葉に集約されている。

オセラ続編「佐々木家、再生への物語」

話 : 佐々木啓子様

それは『オセラ」今号の取材・撮影を終えたあとのことだった。今回の施主、佐々木啓子さんが私たち取材スタッフのほうを振り返りながら、「実はね、ちょっといい話がまだあるんです」といたずらっぽく笑った。

「いい話って...何ですか?」と問い返すと、啓子さんは一瞬空を見上げ、その後、まなざしを遠くに据えながら、その「いい話」をかみ締めるように話し始めた。

あの水害の三日後。自宅二階 まで押し寄せた水がやっと引き、あらためて周囲に目をやると、のどかだった真備の町は土砂とゴミにまみれた惨憺たる光景に一変していた。

それでも長男の一臣さん夫婦は、 ぬかるんだ道のなかを進み避難先から自宅へと様子を見に戻った。

避難先で待機する啓子さんの携帯電話に一臣さんから写真が送られてきたのはその時のこと。

見れば、駐車場に停めた愛車の 屋根の上にお米が一袋(30キログラムだったそう)と手提げカバンがひとつ乗っかっている。その奇妙な光景に佐々木家の誰もが「なんだろう?」。

その時、一臣さんは「もしや持ち主が取りに来るかもしれない」とあえてバッグはそのままにしておいたと言う。

そして二日が過ぎ...。さすがに気になった一臣夫妻がカバンの中身を確かめてみると...中には通帳、パスポート、封筒に入った一万円札の束...。

パスポートを確認すれば、持ち主の名前も住所も分かる。「おそらくその方にとっては手持ちの全財産。さぞや落胆されていることだろう」と被災後の慌ただしいなか、啓子さんはそのカバンを警察へ届けた。

警察からは拾得者としての権利(報労金)があると言われたが 啓子さんは丁重に断った。ちなみに警察からの連絡によると現金はかなりのまとまった金額だったそうだ。

後日、持ち主からお礼の電話がかかってきた。「佐々木さんは私の命の恩人です」と。

「70年生きてきてそんなことを言ってもらったのは初めてでした」と啓子さん。高揚する母の姿を見て、長男の一臣さんは「その言葉を勲章にして、これからも生きていけるね」とともに喜んだ。

物語はさらに続く。

「命の恩人」と言われたその電話 がかかってきてから間もない後日。ひとりの若者が佐々木家を訪れた。

「『損保ジャパン」の者です」。

「せっかく来ていただいたけど、うちは水害保険には入っていませんよ」と答える啓子さん。

「いえいえ、佐々木さんは水害保険に入られていますよ。今日はご自宅の損害状態を確認に参りました」。

「?????」佐々木家の誰もが知らなかった事実に、ただただ驚く家族。

そして保険会社の担当者は、佐々木邸の惨状を確認すると「この状態ですと全壊扱いになります。一週間以内に保険金をお支払いします」と告げた。

やっとローンが終わって安心した頃に今回の水害。またローンかと落胆していた時に訪れたこの知らせ。

「これで元の生活に戻れる」

安堵の気持ちが啓子さんの心の底からこみ上げてきた。

思い起こせば16年前、秦建設で自宅を建てた際、今は亡き啓子さんの夫・昭治さん(水害の前年2017年12月20日にご逝去)が火災保険に加入していた。実はその際、昭治さんは水害保険にも入っていた。もちろん本人の意図は今となっては確かめようもないが、その保険金が自宅再生のための大きな一助となったのは言うまでもない。

亡き夫・昭治さんが遺してくれた水害保険は、まさに佐々木家にとっての天祐となった。天国からの予期せぬ贈り物は、空の上から家族を見守る昭治さんの真心か。

振り返って啓子さんは言う。「大変な経験をしましたが、普段あまりやり取りのなかった親戚からも数々の過分なご厚意をいただきました。あらためて家族や親戚のありがたさ、絆を感じることができました」。

続けて...

「あのカバンがきっかけで『命の恩人」と言ってもらえました。その言葉に私がどれほど勇気づけられたことか。私の方こそ、お礼を言いたいですね」と想いを口にして、啓子さんの話は終わった。

佐々木家に流れ着いた一個のカバン、一袋のお米。そこから始まった不思議な巡りあわせと幸福の連鎖。

啓子さんの話を聞き終わった秦社長はポツリと「まるで「日本むかし話』のようなお話ですね。正直者には福が来る。心が洗われる想いです」と締めくくった。

幾重にも重なった人々の情と厚意。その一つひとつを例に佐々木家・再生への物語は、これからも続く。

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